未来年表作っていた村田諒太選手・昔は喧嘩に明け暮れていた!!

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22日のエンタム戦で見事勝利を収めた村田諒太選手。

昔は喧嘩に明け暮れていた。

中学校の時はかなりのやんちゃぶり。

それを見た担任の先生は、余るエネルギーをボクシングに向けるように振り向け先をボクシング部に紹介したというのが始まりだったという。

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以前の村田諒太選手

しかし村田諒太選手は練習も続かなく2週間にやめたという。

その後も何度もボクシングから何度の逃げたしダメダメの生活を送っていた。

北京五輪出場を逃してしまい、しばらくは引退生活。

そんな村田選手がボクシングで歩んできた中で、試練ではなかったんでないだろうか。

村田選手が変化を見せた時期

プロ後の13戦目で初黒星、2017年の5月の世界ボクシング(WBA)ミドル級王座決定戦。

この試合の結果には疑問に思った、納得行かない人もたくさんいました。

村田諒太選手、アッサムエンダム選手からダウンを取り、試合を何度もぐらつかせた印象の多い試合でしたね。

審判の判定が納得できない、不可解としかいいようがないくらいでした。

見ていた皆さんはいいたいことはたくさんあったと思いますが、

納得いった人ほとんどいないと思うが、結果なんで受け止めました。

個人的にも、あの試合は、村田諒太選手が優勢で、勝利したと思いましたから、結果を見て、え、ホントと思ってしまったぐらい衝撃的な試合でした。

その後の、村田諒太選手は、きっと闘志をパンチに込めて練習に向かったと思います。

今年22日に再戦が決まり、闘志に燃えた村田選手は、一方的に攻め続けて、1R、2Rと追い詰め、7
R終了後、もう限界のエンダム選手にTKO勝利をした。

再戦の村田選手の闘志が出てきた試合ですね。

視聴率も、フジテレビの中継でその瞬間26,7%という凄い記録を残した。

確かに目が話せなく、熱くさせる試合でしたから!

この日は各局が衆議院選挙の特別報道番組がほとんどでしたね。

実は年表を作っていた

そんな中、村田選手が世界チャンピオンの誕生は多くも人喜びを見せ、楽しみにしていたのがわかる。

未来の年表と言えば、同僚の河合雅司記者によるベストセラーである。

実は村田選手もロンドン五輪の前に未来の年表を作っていたことがわかった。

その内容は、

「金メダルを獲得して10年後に指導者となり、50年後には幸せな老後を送る」

また別に、夢として

「プロになってラスベガスで試合をする」

とも書いてあり、世界チャンピオンになった今が新たな出発と話していた村田選手。

今後も更なる伝説を作ってくれるでしょう。応援し、期待をしています。

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